◇めぐる出会い◇
草原からの初夏の風が、穏やかな日常に語りかけます。
庭で野いちごを摘み終わったポルは、家の中にいるペンウッドに声をかけました。
「ペンウッドさん、おいら、フィロの家に行ってくるよ」
「ああ、行っておいで」
いつものように、作業部屋からペンウッドの声がします。今度は何を作っているのかと少し気になりましたが、そのことよりも、魔法使いのフィロと過ごす午後のお茶の時間の方がポルにとっては大事なことでした。
庭で摘んだ野いちごは、フィロにあげる予定なので、カゴに入れて大事に持っていきます。
外に出たポルは、いつもどおりの道を歩いて行きましたが、川にかかる橋の上でふと足を止めました。
暑い日差しの中で涼しげに見える川面をぼんやり眺めると、澄んだ水面にきらめくものがあることに気が付きました。よく見ると、水中の砂利の中で陽光に照らされて何かが光っています。
「なんだろう?」
普通なら見落とすほどの小さな光ですが、なぜだかポルはそれを見つけて心惹かれました。
ゆっくりと小川に入り、そっと拾い上げると、それはビー玉でした。太陽にかざすと、中の模様がキラキラと輝きました。なぜ小川の中に落ちていたのかはわかりませんが、いつもの日常に起こった思わぬ発見に、ポルの気持ちはたかぶりました。
夏の青空の下、冷たくて気持ちの良い小川の中で、しばらくポルはビー玉を興味深く見つめました。
それから、ぼそりと呟きました。
「ただのビー玉だよね。これって」
ポルの正直な気持ちが口からこぼれます。残念ですが、フィロの家で見たことがあるようなルビーやサファイアのような宝石ではありませんでした。特別なことなんて、なかなか起こるものではありません。
それに、特別なことがなくたって、フィロの家でおいしいケーキと紅茶をいただきながらおしゃべりをするような仲間と過ごす日常が、ポルは好きでした。
ビー玉をハンカチで拭きながら諦めのため息をついていると、フワンがやってくるのが見えました。フワンの後ろからは、車輪の付いた宝箱が、ポクポクと小さな雲のようなものを後ろ向きに吹き出しながらついてきます。
ポルはその宝箱のことをいつも不思議に思っていましたが、フワンに聞いても、懐かれてしまったのだから仕方がないと笑うだけでした。
「やあ、ポル。何をしているの?」
「フィロの家に行く途中だよ。この野いちごを届けに行くんだ。フィロが美味しいタルトにしてくれるんだ」
ポルは、カゴに入った野いちごをフワンに見せました。
「フワンは、何をしていたの?」
「僕は、さっきまでバミットと一緒だったんだ。ほら、大きな松の木のそばに、ひまわりがたくさん咲いているでしょ。あそこで、バミットが絵を描いていてね」
「へえ、そうなんだ」
ポルのそっけない返事に、フワンが苦笑いをします。
体の小さいバミットは、絵を描く場所まで画材を運ぶことができないため、いつもフワンが宝箱に画材を入れて運んであげていました。
ですが、遠いところまで運ばされたり、絵を描き終わるまでずっと待たされたりと、いささか自分勝手な印象がありました。そんなバミットのことを、ポルは少し苦手に感じていました。
それでも、バミットの描く絵はとても上手であり、ポルもフワンもそれは認めていました。みんなの家にも、それぞれバミットが描いた風景画が飾ってあるほどです。
「ところで、さっきから手に持っているそれはなに?」
フワンが、宝箱を撫でながら、期待するように尋ねました。
「ただのビー玉だよ。小川の中で拾ったんだ。でも、いらないから、どうしようかなって考えていたところ」
「偶然、僕の宝箱の中が空いてるよ。入れてみたらどうだい?」
「今日は、野菜とか鍋とかは、入ってないの?」
「うん。だから、そのビー玉を入れてみなよ。何も入ってない宝箱ほどつまらないものはないからね」
ポルは楽しげに話す友達を見て、にっこり笑いました。こんなやりとりをする日常は、とても心地よいものでした。ポルは親しみを込めて、ビー玉をフワンにプレゼントしました。
「もらっていいの?」
「もちろんさ」
フワンとのやりとりが終わると、ポルは改めてフィロの家に向かうことにしました。フィロの家は、林を抜けて丘をふたつ超えたところにあるので、まだしばらくかかります。
「ところで、フワンはどこに行くの?」
自然と、ポルと同じ方向に歩き出したフワンに尋ねます。
「このあと、月うさぎの森に行くんだ。ジータと会う約束をしているんだよ」
フワンの行き先を知り、自然と二人の話題はジータが作るシチューのことになりました。
「あのシチューは最高だよね。すごく、おいしい。おいら、毎日でも食べたいくらいだよ。次の満月まで我慢できないよ」
野菜がたくさん入ったシチューを思い浮かべるだけで、食べたい気持ちちが溢れます。
「ポルは、ジータが月のルーを取るところを見たことがあるんだっけ?」
「ないよ。だって、いつもペンウッドさんがもらいに行ってくれるから」
「今度、ポルが行ってみるといいよ。すごく不思議な光景だから」
「そうだね……」
ポルのうかない返事の理由をフワンは知っていましたが、何もいいませんでした。ポルが自分で行こうとしなければ、意味のないことなのです。
◇紅茶とお菓子と魔法の話◇
丘の上に、小さな二階建ての家があります。その白い壁は、夏の日差しに照らされて、とてもまばゆく見えました。そこへの小径をたどって行けば、その先には木の冊で囲まれた美しい庭がありました。
入り口にはバラのアーチがあり、その先にはマリーゴールドやダリアなどたくさんの色の花が咲いていて、玄関へ歩いていく人を出迎えてくれます。
ポルは石畳を歩いて庭を抜けると、ドライフラワーが飾り付けられた扉の呼び鈴を鳴らしました。すぐに、家の中から返事が聞こえ、ゆっくりと扉が開きました。ふと、紅茶の香りがポルの鼻をくすぐります。馴染みのある声が聞えます。
「いらっしゃい。ポル」
オレンジ色のワンピースにピンク色の上着(うわぎ)をまとった素朴(そぼく)な顔立ちの少女が、ポルに微笑(ほほえ)みかけました。
魔法使(まほうつか)いのフィロです。
ポルは、恥(はず)ずかしそうに体をくねらせながら挨拶(あいさつ)を返(かえ)して、持(も)ってきた野いちごのカゴを渡(わた)しました。
「やあ、フィロ。これ、野いちごだよ。あと、今日も庭(にわ)の花がとても綺麗(きれい)だね」
「ありがとう、ポル。庭(にわ)の花の名前は覚(おぼ)えてくれたかしら? そうね……、そこの黄色い花は何かしら」
「マリーゴールドだよ。フィロ」
ポルが自慢(じまん)げに答える様子(ようす)をみて、フィロは愛(いと)おしげに微笑(ほほえ)みました。いつだって、ポルは純粋(じゅんすい)でナチュラルです。
「さあ、中へ入ってちょうだい。今日は、クッキーを焼(や)いたわ。野いちごのタルトは、また明日作るわね」
「うん、楽しみ」
家の中に入ると、テーブルの上に置(お)かれた皿(さら)に、クッキーがたくさん並(なら)べられていました。フィロが作る、とても美味(おい)しいクッキーです。
ポルは、椅子(いす)に座(すわ)って行儀良(ぎょうぎよ)く紅茶(こうちゃ)を待(ま)ちながら、部屋(へや)の中を見渡(みわた)しました。何かの液体(えきたい)が入ったガラス瓶(びん)や開(ひら)きかけの魔法書(まほうしょ)など、いつもどおり、いかにも魔法使(まほうつか)いの部屋(へや)という雰囲気(ふんいき)が漂(ただよ)っています。奥(おく)の部屋(へや)には、綺麗(きれい)な宝石(ほうせき)や不思議(ふしぎ)な魔法(まほう)の道具(どうぐ)があることをポルは知っていますが、なかなか見せてはもらえません。
フィロは、魔法(まほう)以外(いがい)にもいろいろなことが得意(とくい)でした。ポルは、そんなフィロにとても憧(あこが)れていました。そして、その気持(きも)ちをできるだけ言葉(ことば)で伝(つた)えようと頑張(がんば)っていました。
すると、庭(にわ)の花のことや、お菓子(かし)のことや、魔法(まほう)のことなどにどんどん詳(くわ)しくなっていきました。そして、そのことをフィロが笑顔(えがお)で感心(かんしん)してくれることが、ポルにとっては嬉(うれ)しいことなのでした。
フィロが、紅茶(こうちゃ)を運(はこ)んできました。ポルは、もしかしたら魔法(まほう)のかかった紅茶(こうちゃ)かもしれないと思いながら飲(の)んでみましたが、どうやら、いつもの美味(おい)しい普通(ふつう)の紅茶(こうちゃ)のようでした。
紅茶(こうちゃ)とクッキーと楽しいおしゃべり。フィロとの幸(しあわ)せな時間がゆっくりと流(なが)れていきます。
「そうだ、フィロ。おいらね、小川でビー玉を見つけたんだよ。でもね、普通(ふつう)のビー玉だった。宝物(たからもの)にもならないよ」
クッキー食べながら、ポルはつまらなそうに言いました。もしも、ビー玉がフィロの家にあるような魔法(まほう)の道具(どうぐ)だったなら、どんなに素敵(すてき)だったことでしょう。
「ねえ、フィロ。どうしたの?」
フィロが、紅茶(こうちゃ)のカップに口を付(つ)けながら、なにやら考え込(こ)んでいます。いつもならポルに向けられる優(やさ)しい瞳(ひとみ)が、すっと細められて、どこともなく一点を見つめています。
「ポル。ビー玉が小川に落(お)ちていて、不思議(ふしぎ)だとは思わなかった?」
「うーん。誰(だれ)かが落(お)としたのかな。でも、あんなところに落(お)とすなんて、慌(あわ)てて橋(はし)を渡(わた)ったんだろうね」
「もっと、他(ほか)の可能性(かのうせい)は? よく、考えてみて」
ポルがクッキーに伸(の)ばした手を、フィロがそっと押(おさ)さえます。ポルは、クッキーとフィロを交互(こうご)に見つめて戸惑(とまど)いながら、どうにか考えを捻(ひね)り出します。
「ビー玉が、どこかからコロコロと自分で転(ころ)がってきたのかもね。ははは」
ふざけたようにポルは笑(わら)いましたが、真顔(まがお)のフィロを見て反省(はんせい)します。ですが、フィロは呆(あき)れているわけではありませんでした。むしろ、感心(かんしん)していたのです。
「ポル、不思議(ふしぎ)なことの原因(げんいん)が、誰(だれ)も思いもしなかったことでも、おかしくはないわ。ポルが考えたような理由(りゆう)だったとしても、決(けっ)しておかしくない」
フィロがポルの手を離(はな)したので、ポルはさっそくクッキーに手を伸(の)ばしました。そして、どうやら、褒(ほめ)められているようだとわかり、嬉(うれ)しそうにクッキーを頬張(ほおば)りました。
「不思議(ふしぎ)なビー玉だわ。もしかしたら、魔法(まほう)のビー玉かも。調(しら)べてみる必要(ひつよう)がありそうね。ポル、ビー玉を見せて」
「魔法(まほう)! ねえ、あのビー玉は魔法(まほう)のビー玉なの?」
ポルは、思わず大きな声を出しました。テーブルが揺(ゆ)れて、カップの中の紅茶(こうちゃ)が少しこぼれました。
「落(お)ち着(つ)いてポル。不思議(ふしぎ)なことには、魔法(まほう)がかかわっていることが多いわ。調(しら)べてみるから、ビー玉を見せて」
魔法使(まほうつか)いのフィロの期待(きたい)に応(こた)えたい! でも、ビー玉はここにはありません。フワンにあげてしまいました。
ポルは落(お)ち込(こ)みながら、悲(かな)しげに今までのことをフィロに説明(せつめい)しました。
「まあ、今は、フワンが持(も)っているのね。ポル、いつでもいいのよ。また、今度(こんど)、そのビー玉を見せてね」
ポルは、こくりと頷(うなづ)くと、急(いそ)いで紅茶(こうちゃ)を飲(の)み干(ほ)して椅子(いす)から立ち上がりました。なんとしても、フワンから返(かえ)してもらわなくては。
「フィロ、ごめんね。おいら、これから、ちょっとフワンに会ってくる」
「まあ、そうなのね。じゃあ、このクッキーを持(も)っていくといいわ」
フィロは、クッキーを紙に包(つつ)んでポルに持(も)たせました。ポルはそれを大事(だいじ)そうに持(も)つと、外への扉(とびら)をあけました。
いつもの日常(にちじょう)から、何かが変(か)わる気がする。ポルには、ビー玉との出会いがそう感(かん)じられました。
◇宝物(たからもの)を探(さが)して森の中◇
フワンは、月うさぎのジータに会いに行くと行っていました。
フィロの家からしばらく歩いて月うさぎの森に到着(とうちゃく)したポルは、道を示(しめ)す看板(かんばん)を見つけて、迷(まよ)うことなく森の中への小径(こみち)を歩き出しました。
看板(かんばん)には「月うさぎのシチューを欲(ほ)しい人は、満月(まんげつ)の夜に鍋(なべ)を持(も)っておいで」と書いてありました。ポルも、ジータが作るシチューが美味(おい)しすぎて、今までに数えきれないほど食べてきました。
ですが、今日はシチューをもらいに来たわけではありません。目当(めあ)ては、ビー玉です。
森の中に入ると、夏の強い日差(ひざ)しは木々の隙間(すきま)から差(さ)し込(こ)むだけになりましたが、所々(ところどころ)には陽(ひ)だまりがあり、やわらかい明るさが広がっていました。
ですが、この森も夜になると雰囲気(ふんいき)が変(か)わることを、ポルは知っていました。わずかに月明かりが差(さ)し込(こ)むだけの森の中を、たとえ美味(おい)しい月うさぎのシチューをもらうためだとしても、怖(こわ)くて入る気にはなれません。
ジータの家に向(む)かう一本道(いっぽんみち)をしばらく歩いて行くと、やがて、開(ひら)けた明るい場所(ばしょ)に出ました。そこには、小さな湖(みずうみ)があって、湖面(こめん)には夏の青空と太陽(たいよう)が映(うつ)り込(こ)んでいました。
ポルは、湖畔(こはん)に沿(そ)って歩いて行きました。その先の方には、一軒(いっけん)の建物(たてもの)が見えました。丸みを帯(お)びた独特(どくとく)な形をしたジータの家です。
家の近くまで行くと、ジータの姿(すがた)が見えました。家のそばにある畑(はたけ)で、しゃがみこんで作業(さぎょう)をしているようです。
「やあ、ジータ。こんにちは」
「おっ、ポルじゃないか。めずらしい。君(きみ)も、私(わたし)の自慢(じまん)の野菜(やさい)をもらいに来たのかな?」
小柄(こがら)なジータの大きな畑(はたけ)には、たくさんの野菜(やさい)が育(そだ)てられています。トマトなど地上になっているものはポルにもわかりましたが、土の中に植(うわ)っている野菜(やさい)は、見ただけではわかりません。
「違(ちが)うよ、ジータ。おいらは、フワンを探(さが)しに来たんだ。フワンが、おいらの大切なビー玉を持(も)っているんだ。ねえ、フワンはここに来た?」
「いいや、来てないよ。でも、来ると思うよ。お願(ねが)いしておいたからね」
ジータは、畑仕事(はたけしごと)の手を休めて立ち上がりました。足元には、収穫(しゅうかく)したばかりの野菜(やさい)たちが並(なら)べてあります。
ポルは安心(あんしん)しました。ここで待(ま)っていればフワンに会えます。フワンはどこかで寄(よ)り道でもしているのでしょう。
ただ、問題(もんだい)が一つあります。フワンからビー玉を返(かえ)してもらう理由(りゆう)をどうすればよいのでしょう。正直(しょうじき)に、魔法(まほう)のビー玉かもしれないと言ったなら、フワンだって自分の宝物(たからもの)にしたがるかもしれません。いつだって、フワンは宝箱(たからばこ)に入れる宝物(たからもの)を探(さが)しているのですから。
あのビー玉の持(も)ち主(ぬし)は、今はフワンなのです。
ポルが、ビー玉をあげたことを後悔(こうかい)しながら困(こま)った表情(ひょうじょう)をしていると、ポルより背(せ)の低(ひく)いジータがその顔を覗(のぞ)き込(こ)みながら言いました。
「ちょっと待(ま)っててね。ポル」
ジータはニンジンを一本手に取(と)ると、すぐそばにある湖(みずうみ)で洗(あら)ってから戻(もど)ってきました。そして、ズボンに吊(つ)るした手拭(てぬぐ)いでニンジンを拭(ふ)きながらポルに尋(たず)ねました。
「その大切なビー玉というのは、どんなビー玉なんだい?」
「えっ」
ポルは、すぐに答えられませんでした。フワンにさえ、魔法(まほう)のビー玉かもしれないことは黙(だま)っておこうと思っていたのに、今ここで、ジータにそのことを言うことはできません。
「うん。まあ、おいらの宝物(たからもの)かな」
思いがけず(宝物(たからもの))という言葉(ことば)が口に出たことに、ポル自身(じしん)も驚(おどろ)きました。そして、困(こま)るのでした。フィロが調(しら)べてくれてもただのビー玉だった時、さすがにそれを宝物(たからもの)にはできません。
「なるほど。宝物(たからもの)だから、フワンの宝箱(たからばこ)の中に入れてもらっているんだね」
「そうなんだよ。ははは」
慌(あわ)ててポルが頷(うなづ)くと、ジータは手にしていたニンジンをポルに手渡(てわた)しました。
「私(わたし)の宝物(たからもの)は、立派(りっぱ)に育(そだ)ったこの野菜(やさい)たちさ。さあ、お食べよ」
月うさぎの宝物(たからもの)は(月のルー)じゃないのかな。ポルがそんなことを思いながらニンジンをかじると、甘(あま)くとても美味(おい)しものでした。シチューに入ったニンジンがさらに美味(おい)しくなることを思えば、確(たし)かにこの野菜(やさい)たちはジータの宝物(たからもの)なのでしょう。
その後、しばらくポルがジータと一緒(いっしょ)に収穫(しゅうかく)した野菜(やさい)を湖(みずうみ)で洗(あら)っていると、ようやくフワンがやってきました。すぐ後ろには動(うご)く宝箱(たからばこ)も付(つ)いてきています。森の中の道はでこぼこしたところもあるのに、この宝箱(たからばこ)にとっては全(まった)く問題(もんだい)ないようでした。もくもくと吹(ふ)き出している雲(くも)のようなものが秘密(ひみつ)らしいのですが、ポルには詳(くわ)しいことはわかりません。ちなみに、作ったのはペンウッドです。
「あれっ? なんでポルがいるの?」
フワンがまず言ったのは、そのことでした。ポルがフワンとジータの間で言葉(ことば)に詰(つ)まっていると、代(か)わりにジータが口を開(ひら)きました。
「やあ、フワン。ポルは君(きみ)を待(ま)っていたんだよ。なんだか、ビー玉のことらしいよ。ポルのとても大切な……」
「あっ、えっと。違(ちが)うんだよ、フワン」
ポルが慌(あわ)てて、ジータの言葉(ことば)を遮(さえぎ)りました。ここは、慎重(しんちょう)に伝(つた)える必要(ひつよう)があります。どうにかして、フワンからビー玉を返(かえ)してもらわなくては。
「フワン、遅(おそ)かったね。どこか、寄(よ)り道していたの?」
「うん。バミットを家に送(おく)っていたんだ。ポルと別(わか)れた後にひまわりのところに行ってみたら、バミットがもう帰ると言ったから」
画材(がざい)を宝箱(たからばこ)に入れてもらって、宝箱(たからばこ)の上でのんびり昼寝(ひるね)をしながら運(はこ)んでもらうバミットの姿(すがた)が想像(そうぞう)できます。
「へえ、そうなんだね。ところで、おいらがフワンにあげたビー玉なんだけど。やっぱり、おいらが欲(ほ)しいかな。さっきは、いらないって言ったけど。ごめん」
ポルはできるだけニコニコと愛想(あいそう)よくしながら、フィロからもらった包(つつみ)み紙を渡(わた)そうとします。
「これ、フィロが作ったクッキーだよ。全部(ぜんぶ)、フワンにあげる。だから、ビー玉はおいらがもらってもいいかな?」
「うーん。ビー玉は、もうないんだ。バミットにあげちゃった……」
フワンは、宝箱(たからばこ)を開(あ)けると一枚(いちまい)の絵を取(と)り出しました。ひまわりが見事(みごと)に描(えが)かれています。
「これ、バミットがくれたんだ。今日は、何枚(なんまい)もひまわりを描(えが)いたからって。すごくいい絵だったから、お礼(れい)にビー玉をあげた」
ポルは戸惑(とまど)いました。バミットは、すんなり返(かえ)してくれるでしょうか。本当の理由(りゆう)を隠(かく)して話さなくてはならない相手(あいて)が、また増(ふ)えてしまいました。
「ポルがいらないって言ってたから……。でも、なんで、急(きゅう)にビー玉が欲(ほ)しくなったの?」
フワンが首を傾(かし)げると、ジータも不思議(ふしぎ)そうな顔をしました。さっき、ポルが言っていたことと、なんだか話が違(ちが)うのですから。
ポルが黙(だま)ってうつむいていると、ジータは肩(かた)をすくめて野菜(やさい)をフワンの宝箱(たからばこ)に入れ始(はじ)めました。フワンも絵とクッキーをしまってから、野菜(やさい)を入れるのを手伝(てつだ)います。
「ビー玉、宝物(たからもの)らしいよ。ポルの」
小声でジータがフワンに言いました。
「おいら、帰るね……」
ポルは、とぼとぼと歩き出しました。
◇優(やさ)しい想(おも)いに包(つつ)まれて◇
ポルが月うさぎの森を抜(ぬ)けた頃(ころ)には、もう夕方になっていました。バミットの家がある林までは結構(けっこう)遠いため、今から行くと途中(とちゅう)で夜になってしまいます。遅(おそ)くまで家に帰らないと、ペンウッドが心配(しんぱい)することでしょう。
ポルは、今日は諦(あきら)めることにしました。バミットがビー玉を持(も)っていることはわかっているのです。家に帰って、返(かえ)してもらう方法(ほうほう)を考えることにします。
帰り道では、気持(きも)ちを切り替(か)えてビー玉の魔法(まほう)のことを考えることにしました。魔法(まほう)と言ってもいろいろとあります。ポルも詳(くわ)しいわけではありませんが、フィロが使っている魔法(まほう)のいくつかは見て知っています。
例(たと)えば、カップに入れた紅茶(こうちゃ)がなかなか冷(さ)めない魔法(まほう)とか、洋服(ようふく)の色を変(か)えられる魔法(まほう)とか、花瓶(かびん)が倒(たお)れないようにテーブルにくっつけておく魔法(まほう)とか、いろいろあります。
魔法(まほう)のビー玉なのなら、例(たと)えば勝手(かって)に転(ころ)がるビー玉とか、光るビー玉とか、舐(な)めると甘(あま)いビー玉とかでしょうか。
楽しみながら考えて歩いていると、あっという間(ま)に家に着(つ)きました。ですが、家にペンウッドはいないようでした。明かりも付(つ)いていません。
「どこに行ったんだろう?」
ポルは家の中に明かりを灯(とも)してから、自分の部屋(へや)のベッドに寝転(ねころ)びました。
「宝物(たからもの)か…」
ジータのところで、不意(ふい)に口から出た言葉(ことば)。改(あらた)めて考えると、ポルには宝物(たからもの)と呼(よ)べるものがありませんでした。そもそも、宝物(たからもの)って何だろう? 大切にしまっておきたいもの? 誰(だれ)かに自慢(じまん)したくなるもの?
みんなの宝物(たからもの)って何だろう。
ポルが悩(なや)んでいると、やがてペンウッドが帰ってきました。ベッドから起(お)き上(あ)がって出迎(でむか)えます。
「ポル、遅(おそ)くなったね。バミットに新しく作った絵筆(えふで)を渡(わた)しに行っていたんだ」
「なんだ。朝からそれを作っていたんだね……」
あからさまに、ポルの態度(たいど)がそっけなくなります。自分勝手(じぶんかって)なバミットが苦手(にがて)なのです。それに、なぜだか、ポルにだけ威張(いば)ってくるのです。
「バミットの家に、すごく綺麗(きれい)なひまわりの絵が飾(かざ)ってあったよ。今度(こんど)、ポルも見せてもらいなよ」
「そうだね。気が向(む)いたらね」
バミットからビー玉を返(かえ)してもらわなくていけないことを思い返(かえ)してポルの気持(きも)ちが暗(くら)くなっていると、ふいにペンウッドが、壁(かべ)の棚(たな)から木製(もくせい)の小箱(こばこ)を持(も)ってきました。そして、ポケットから取(と)り出したものを小箱(こばこ)に入れると、ポルに渡(わた)しました。
「はい、この箱(はこ)を開けてごらん」
「これって、おいらが作った小箱(こばこ)だよね。これが、どうしたの?」
ポルは、疑問(ぎもん)に思いながらも、言われたとおりに小箱(こばこ)のフタを開(あ)けてみました。
「えっ」
そこに入っていたのは、ビー玉でした。ポルが作った小箱(こばこ)に、ぴったり収(おさ)まっています。まるで、ビー玉のために作られた小箱(こばこ)と思えるほどです。ちなみに、この小箱(こばこ)は、ペンウッドの勧(すす)めで「ものづくり」の体験(たいけん)としてポルが自分で作ったものでした。ペンウッドに手伝(てつだ)ってもらい、綺麗(きれい)に仕上(しあ)がっています。
「せっかく作ったのに、ただ飾(かざ)っておくだけなんて、もったいないでしょ」
「ま、まぁ、そうだけど」
ポルは目の前のビー玉に戸惑(とまど)っていました。ビー玉なんて珍(めずら)しくなく、ポルの家にだって何個(なんこ)もありますが、なぜこのタイミングで、ペンウッドがポルにビー玉を渡(わた)すのか。それに、このビー玉は、ポルが川で見つけたビー玉にすごく似(に)ていました。
「バミットがくれたんだよ。絵筆(えふで)を作ってくれたお礼(れい)にってね。何だかよくわからなかったけど、ただのビー玉だからいらないそうだよ」
「ん?」
ますます、状況(じょうきょう)がわからなくなります。フワンがバミットにあげたビー玉を、バミットがペンウッドにあげたのであれば、ここにあるのはポルが見つけたビー玉です。
ですが、バミットが他のビー玉をペンウッドにあげた可能性(かのうせい)もあります。素直(すなお)に喜(よろこ)ぶには、まだ早いようです。ポルは、ため息(いき)をついてビー玉の入った小箱(こばこ)をそっと閉(とじ)じました。
結局(けっきょく)、バミットに聞いてみるしかないのです。
その晩(ばん)、夕食を済(す)ませたポルが自分の部屋(へや)でぼんやりとビー玉を眺(なが)めていると、突然(とつぜん)、玄関(げんかん)のドアが叩(たた)かれました。こんな時間に誰(だれ)が来たのでしょう。ポルが、急(いそ)いでドアを開(あ)けると、そこにはフワンがいました。
「フワン!」
月明かりはあるものの、外は暗(くら)く、とても出歩くような時間ではありません。ポルは慌(あわ)てながらも、フワンを家の中に入れてドアを閉(し)めました。フワンは、何だか遠慮(えんりょ)がちにしています。
「ポル。ビー玉のことだけど、宝物(たからもの)にしたいのなら、言ってくれれば良(よ)かったのに……」
「うん。ごめん。急(きゅう)に、気持(きも)ちが変(か)わったんだ。でも、フワンはビー玉持(も)ってないんでしょ」
「そうだよ。バミットにあげたからね。でも、バミットはペンウッドさんにあげたらしいんだ。今、聞いてきた」
「えっ、バミットに聞いてくれたの?」
ポルは驚(おど)きました。フワンはわざわざ、バミットのところまで行って、ビー玉のことを聞いてくれたのです。
「バミットに、返(かえ)してもらえるか聞いてみよう思ったんだよ。ポルが困(こま)っていたから」
フワンの行動(こうどう)を知って、ポルは急(きゅう)に自分が恥(は)ずかしくなりました。もう、フワンに嘘(うそ)は付(つ)きたくありません。正直(しょうじき)に言うことにします。
「フワン。フィロがね、もしかしたら、魔法(まほう)のビー玉かもって言ったんだ。だから、おいらが見つけたビー玉だから、自分のものにしたかったんだ」
「すごい! ポル。魔法(まほう)のビー玉なんて、なかなかないと思うよ」
「そ、そうだね」
ポルは自分の部屋(へや)から小箱(こばこ)に入ったビー玉を持(も)ってくると、フワンに見せました。
「見つけたのポルなんだから、ポルの宝物(たからもの)にしなよ」
「いいの?」
「もちろんだよ。そんなこと、心配(しんぱい)していたの?」
「うん」
ポルが照(て)れくさそうに笑(わら)うと、フワンもウインクしながら笑(わら)いました。
奥(おく)の部屋(へや)から、ペンウッドが出てきました。
「おや、フワン。こんな時間(じかん)にどうしたの」
「ペンウッドさん実(じつ)はね」
ポルが言いかけましたが、フワンが遮(さえぎ)りました。
「野菜(やさい)を持(も)ってきたよ。ジータが早く持(も)っていけっていうものだから」
フワンが開(あ)けた宝箱(たからばこ)の中をペンウッドとポルが覗(のぞ)き込(こ)むと、そこにはたくさんの野菜(やさい)が入っていました。ジータの宝物(たからもの)。自慢(じまん)の野菜(やさい)たちです。
◇魔法(まほう)のような答え◇
翌日(よくじつ)、お茶の時間に会わせてフィロ家を訪(たず)ねたポルは、早速(さっそく)とばかりに、小箱(こばこ)に入ったビー玉をフィロに見せようとしました。
そんなポルを、フィロがたしなめます。
「だめよ。ポル。お茶の時間は、きちんと過(す)ごすこと。まずは、紅茶(こうちゃ)とお菓子(かし)をいただきましょ」
今日のお菓子(かし)は、野いちごのタルトでした。ポルは落(お)ち着(つ)かない気持(きも)ちのまま、甘酸(あまず)っぱいタルトを食べましたが、ビー玉のことが気になってしまい、何だか味(あじ)わうことができませんでした。
フィロが、ため息(いき)をつきます。
「もう、ポルったら。調(しら)べてあげるから、ビー玉を見せてちょうだい」
ポルは、嬉(うれ)しさを隠(かく)せない表情(ひょうじょう)で立ち上がると、小箱(こばこ)ごとフィロに渡(わた)しました。
フィロは小さな魔法(まほう)の杖(つえ)を取(と)り出すと、指(ゆび)にはめていた指輪(ゆびわ)をはずして杖に差(さ)し込(こ)みました。それから、ゆっくりと呪文(じゅもん)を唱(とな)え、杖(つえ)をビー玉にかざします。
ポルが見ている目の前で、ビー玉がほんのりと光り始(はじ)めました。何が起(お)こるのかと期待(きたい)して見つめていると、ビー玉の光はゆっくりと消(き)えていきました。
「フィロ、どうだった?」
我慢(がまん)できずにポルが声をかけると、フィロは目をつぶってしばらく考えてから、とても静(しず)かに答えました。
「よかったわね、ポル。このビー玉は、魔法(まほう)のビー玉よ」
「やった!」
ポルは、飛(と)び跳(は)ねて喜(よろ)びました。嬉(うれ)しくてたまりません。
「それで、どんな魔法(まほう)なの。フィロ、教えて!」
「落(お)ち着(つ)いてちょうだい。ポル」
フィロは、ポルの鼻(はな)を撫(な)でました。
「私(わたし)には、魔法(まほう)のビー玉だということはわかっても、どんな魔法(まほう)なのかはわからないの。だから、ポルにはそのビー玉を大事(だいじ)にしておいてほしいの。きっといつか、どんな魔法(まほう)かわかるから」
ポルは、黙(だま)ったまま首を傾(かし)げました。なんだか予想(よそう)していた結果(けっか)と違(ちが)いました。もっとわかりやすい結果(けっか)だったら良(よ)かったのですが、なんと言ったらいいのかわからずに立ち尽(つ)くします。
「ポル。どうして私(わたし)が魔法(まほう)のビー玉かもしれないと言ったのはね、このビー玉が川に落(お)ちていたからなのよ。ポルも、見つけた時に不思議(ふしぎ)だと思ったでしょ。なんでこんな所(ところ)に落(お)ちているのだろうって」
「まあ、そうだけど」
「その理由(りゆう)は二つ考えられるわ。一つはね、誰(だれ)かが落(お)としたということ。そして、もう一つはビー玉が自分で落(お)ちたってこと」
ポルが、また首を傾(かし)げます。フィロの言っていることが、よくわかりません。
「不思議(ふしぎ)に感(かん)じることには、魔法(まほう)が関係(かんけい)していることが多いわ。でも、はっきりとはわからない。魔法(まほう)って、そんな感(かん)じのものなのよ」
優(やさ)しく微笑(ほほえ)むフィロに見つめられながら、ポルは考えます。つまり、どういうこと? おいらのビー玉は、すごいの? 宝物(たからもの)にしていいの?
「ねえ、フィロ。おいら、このビー玉をどうしたらいいんだろう?」
「ポルが、どんな魔法(まほう)なのかいろいろと試(ため)してみればいいのよ。魔法(まほう)には実験(じっけん)は付(つ)きもの。がんばって、ポル」
大好(だいす)きなフィロが、応援(おうえん)してくれています。ビー玉を小箱(こばこ)に入れてみれば、さらに特別(とくべつ)なものに感(かん)じます。ポルは悩(なや)んで考えて、そして決(き)めました。
「おいらのビー玉は、魔法(まほう)のビー玉。おいらの宝物(たからもの)!」